まにゆにです。今日は久々に仕事での出来事をテーマにして、記事にしていこうと思います。始めに断っておきますが、このブログは不平不満や愚痴をこぼして、自己満足するようなブログにはしたくありませんので、ここで書くことは愚痴ではありません。

自分だったら、こういう事を意識して気をつけたいな。と思う内容になっています。もし、同じような気持ちで共感できる人がいれば、幸いです。

正論だけでは人の心は動かない。

私の職場には、とても能力が優れている人がいます。ここでいう能力というのは、技術力(スキル面)です。その人は、とても技術的なことに詳しく、私自身、その点に関しては、とても尊敬しますし、勉強になることも多いことが事実です。

では、私がその人みたいになりたいか?と言われると、答えは「ノー」です。全くと言って良いほど、その人のようになりたいとは思いません。なぜでしょうか?技術的にはとても尊敬できる人であるにも関わらず、そうなりたいと思わない理由は?

それが、今回のテーマです。それは、、、、、

 

「正論だけでは人の心は動かない」からです。

 

先程、この方は技術力(スキル面)において、大変優れており、尊敬できる。と書きました。しかし、人間力(ヒューマンスキル面)においては、全く尊敬できないのです。ここが私は、とても勿体無いと思うのです。せっかく、優れた技術力があり、尊敬できる要素があるにも関わらず、人間力が乏しいせいで、それが台無しになっているような気がするのです。

これに関しては、本人がどう思っているか分かりませんが、その方自身は、あまり気にしていないのかもしれません。

だから、私は「その人に変わって欲しい。」などは微塵も思いませんし、そもそも本人が気にしていないのであれば、周りがどうこう言っても変わるものではありません。

だから、私が思うことは一つしかありません。「自分はそうならないように意識して、気を付けよう。」と。これだけです。

では、具体的に「どういうところを気を付けたいと思っているのか?」見ていきたいと思います。

正論だけを語っても人の心が動かない理由
①「話す言葉」と「話し方」はセットであることを意識する
②人の話を聞けない人の話は聞かないことを理解する

①「話す言葉」と「話し方」はセットであることを意識する

この一つ目は大変重要なポイントです。ここを意識していないと、いくら正しいことを言おうと相手に響きません。相手がとても素直な性格でなければ、「話す言葉」だけでは、人の心にはその言葉が入ってこないのです。

それは何故でしょうか?「正論を言っている方が正しいに決まっている」と思うかもしれませんが、人の心はそういう訳にはいかないのです。

例えば、笑顔でこちらの目を見ながら「ありがとう。」と言われたとすると、どんな気持ちになるでしょうか?大半の人は、嬉しい気持ちになるのではないでしょうか?

挨拶でも一緒です。朝から大きな声で「おはようございます。」と言われたら、気持ちの良い朝をスタートできるような気がしませんか?

逆に、あなたが相手を助けたときに、ムスッとした表情で、投げ捨てるかのように「ありがとう...」と言われたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?

朝、聞こえるか聞こえないか分からないような暗い声で「おはようございます...」と言われたら、どんな朝がスタートできそうでしょうか?

おそらく、最初の例のように、嬉しい気持ちになったり、気持ちの良い朝を迎えられるぞ!と思えないと思うのです。

逆に「なんだよ。せっかく手伝ったのに、なんか損した気分だ。」とか「この人に挨拶しても、全然何を言っているか分からないな。」といった気分にならないでしょうか?

話す言葉だけ正しければ良いのであれば、「ありがとう。」も「おはようございます。」も本来嬉しい言葉のはずです。しかし、「話し方」によって、それは嬉しいどころか、不愉快な言葉に変化してしまうのです。

とても、恐ろしいことだと思いませんか?「話す言葉」は一緒でも「話し方」によって、真逆の特性を持ってしまうのです。もし、これを意識せずにいると、いくら正しいことを言おうと、相手の心に響くことはありません。

私の職場にいる、技術力はあるけれど、人間力が乏しい人は、まさにここが意識できていないのです。

相手に対して、高圧的な態度をとり、話し方も相手を責め立てるような言い方をしています。「何でできなかったんだ?」「そこは意識しておくのが普通だろう?」「俺が担当していた時は、普通にやっていたけど、何でそれができないんだ?」と言うような言い方です。

たしかに、その方が言っていることは正論であることが多いです。「今できること」ではなく「理想としていること」を語るのであれば、「確かにそれが理想ではある。」と思えます。

私は「相手の言葉を受け止める力に長けている。」と自負しているので、この方の言っていることをなるべく理解しようと意識しています。

「話し方」には気を配らず「話す言葉」に注目して、そこを切り離して聞くように意識しています。しかし、多くの場合は、「話す言葉」と「話し方」はセットで聞いてしまうため、いくら正論を並べられても、素直に受け止めることができません。

実際、この方に注意をされる人は不満を持っています。「言っていることは分かるけど、実際にやるとなると難しい。」「今、それを言われても、もう終わったことだし。今更言うことではないんじゃないか?」というような気持ちを持たれています。

こういう状態だといくら正論を語ろうと、人の心に響くことはありません。なので、「話す側」としては「話す言葉」と「話し方」は常にセットであり、どちらも重要であることを意識しておく必要があります。

これは、家庭においても一緒です。「いつも同じことを言われている」「相手が自分の言うことをなかなか聞いてくれない」と思いあたる方は、「話す言葉」は正しくても「話し方」は間違っていないでしょうか?

なかなか相手に響かずに困っている場合、自分が行なっていることを一度振り返ってみることをオススメします。

そして、逆に「聞く側」になる場合できるだけ相手の「話し方」には気を配らず、「話す言葉」に注目して聞いてみましょう。そしたら、「ああ、確かに言われてみれば、自分ができていなかったな。今度は気をつけるようにしておこう。」と素直に聞き入れることができます。

これは、「無意識でできる人」は特に必要ありません。しかし、私の場合は、「意識していないとできない」ため、常に意識するようにしています。

②人の話を聞けない人の話は聞かないことを理解する。

次のことも当たり前ですが、うまくいかない人ができていないことの一つです。あなたは、人に何かを話す時に「全然、自分の話を聞いてくれない人」「いつも否定ばかりしてくる人」そんな人に話をしたいと思いますか?

そして、自分の話を聞いてくれない人の話を聞きたいと思いますか?

「あの人、私の話は全然聞いてくれないけれど、あの人の話をもっと聞きたい。」と思う人は少ないと思います。

もちろん、「その人から何かを学ぼうとしている」とか、「相手の話がとても面白くて、聞いているだけでこっちが幸せな気持ちになる」とか、そういうのは例外です。

しかし、職場や家庭において、「相手の話を聞いているだけで、自分は満足で、幸せなんだ。」という方は稀だと思います。もし、そういう人がいれば、その人は十分幸せな人だと思います。

本来、「自分の話を聞いてくれないから、その人の話も聞かない。」というのは、あまり好ましい状況ではありません。理想は、「自分が相手の話を聞かないから、相手も自分の話を聞いてくれない」と思いたいところです。

ですが、ここでもまた、人の心というのはそういう訳にはいかないのです。

やっぱり、自分の話をきちんと聞いてくれる人に話をしたいと思うのは、ごくごく自然なことだと思います。

「話す言葉」も正しい、「話し方」も正しい。だけど、「人の話を聞くことができない」こういう人の話は、相手も聞き入れてくれません。結果、人の心はそれでは動かないのです。

「話す言葉」と「話し方」はセットであると言いましたが、「相手の話を聞く」これができていないと、相手は自分の話を聞いてくれません。

 

つまり、、、、

 

「話す言葉」「話し方」「話しを聞く力」これらは全てセットであり、どれか一つが欠けてもいけません。

 

だから、いくら正論を言ったとしても、それだけでは人の心は動かないのです。これができていない人が非常に多い。そして、たいていの場合「あの人は、全然言うことを聞いてくれない」とか「誰も自分のことを分かってくれない」とか、不満を漏らします。

そこで少し意識を変えて、「そもそも自分の行動に誤りがなかったか?自分は相手の話を聞くことができていたか?」を振り返えることができれば、少しだけ違った結果になるかもしれません。

ぜひ意識して取り組んでみてください。きっと、今とは違う景色が見えると思います。

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